ねこってつくづく粋だよなぁ。絶妙な間合い。タイミングの達人。
ねこは秒刻みで今を生きている。昨日?そんな昔のことは忘れたさ。
明日?そんな未来のことはわからないさ。カサブランカのボガードよろしく、
とにかく引きずらない。
それにしたってバーグマンは美しかった。娘のイザベラ・ロッセリーニも
おかあさんゆずりで美しい。
話が横にそれた。より道ばかりだ。より道だけが人生だ(開き直り)
ねこが不機嫌になったとこちらが気をもんでいると、数秒後には、
けろっとしている。
ひとつ多かったり、ちょっと足りなかったり。
無粋なわたしといふ人間は、ぶかっこうでねこのようにスマートには
ゆかない。だけれどそれも味なのか??いつも一日のおわりに
ヒザに手を置く。そんなのが中也の詩にもあったなぁ。
波みたいのに乗っかって、すいすい自然におよぎたい。
上手におよげなくっても楽しくおよげるように。
今宵はおさかな抱いてねむります。
ゆらゆらゆるゆるねむります。ああ今日はなんか詩人の魂が萌える。
…まちがえた。燃える(イッツバーン♪By deep purple)
※実はわたしはこんな顔をして。どんな顔だよ?^^:四半世紀以上、詩をやっている。
さすけが死んでから書けなくなったままだけれど。いつかまた個展もやりたい。
随分と長いこと中也狂だったけれど、今は断然、宮澤賢治だ。
生き方。人柄。作品。すべてにブレがない唯一の詩人といってもいいとわたしは思っている。
この2人の詩人は、実は同じ時代に生きていた。
ついに出会うことはなかったけれど、中也は賢治の「春と修羅」を絶賛していたという。