※時は平成22年2月22日2時22分。ゾロ目なり。な~らんだぁ~なぁ~らんだぁ~♪猫がならぶ希少な日時[E:cat][E:cat][E:cat][E:cat][E:cat][E:cat][E:cat][E:cat]
スペシャルな猫の日だ。この記事は前もって予約投稿したものです。
先代猫さすけ♀が慢性腎不全で虹の橋を渡ってからわずか1ケ月後のこと。
忘れもしない2008年10月15日にしじみはわが家へやってきた。
キレイな満月の夜のことだった。カゴの中で小刻みに震えていたしじみの暖かい身体と、その重さを今でも忘れない。
あの頃のわたしは相当な「さすけロス」状態で、毎日毎日泣きはらした目で思い出に逃げ込んで泣き暮らしていた。そんなわたしに夫もお手上げ状態。
寝ても覚めてもどこにいてもさすけの夢を見たし、幻を見た。そっくりなキジトラを見かけるとあとをつけたりした。けれども、どんなにソックリな猫がいたとしても、どこに行ってもさすけには、もう決して二度と会えないのだ。
という悲しみと恐怖がわたしを打ちのめした。認めたくない死。受け入れられない死。そんな最中に知人から「虐待されている猫を保護しないか?」という電話を受けたのだ。
わたしたち夫婦に迷う時間は、なかった。一刻の猶予もない緊急事態にすぐ反応を返した。秋の寒空に放り出された子猫の運命。事故の危険。病気の危険。
さらなる虐待の危険。時間がない。早くたすけ出さなければ…。
すぐに夫と連絡を取り、電話を受けて数時間後に保護することに決めた。それがきっとさすけが天国からわたしたちに寄せたメッセージなのだろうと思った。
飼い主を亡くした猫と猫を亡くした飼い主の出会い。
この経緯やペットロスとしじみとの出会いについては、しばらくして仕事で書く機会に
めぐまれた。その出版社もこの不況で今や業務縮小。残念なことにわたしがそこで仕事をさせていただいたのは、それが初めてで最後になってしまった。
何度も企画原稿を書き直し、やっと契約にこぎつけた仕事。本当なら、そのあとも引き続き猫シリーズとして原稿を書かせていただくことになっていたのに…(ρ_;)
でも猫のことを書いた記事で、初めて原稿料をもらったことは猫かまけ冥利に尽きる。
20代半ばに受賞詩を引っさげて、アンソロジー詩集に2度ほど参加し、スズメの涙ほどの印税を貰った経験があるが、そのときよりも数倍うれしかった。
さて、この4枚の写真。
腰はひけたまま、音も立てずにタンスや家具、カーテンの裏側を逃げ隠れして歩くしじみにやっとで毛糸で編んだ首輪を着けてやり、居場所がわかるようになった頃の写真である。
こうして見ると何だか毛足も短いし、表情にも幼さが残る。当時、診てもらった獣医さんは、どう若く見積もっても2歳ぐらいだろう。
とおっしゃっていたが、本当だろうか?赤ちゃんみたいにしか見えないぞ。
アメリカンショートヘアがその種として成長するまでに4年ぐらいかかると聞いたし。
明らかに今は身体が大きくなった。…というより太ったよなぁ。だって今やメタボな洋ナシ体型だもの( ̄▽ ̄;)当時は今よりずっとやせぽっち。
前宅では飼い主(おばあちゃん)が急死したため、移り住んできた遺族たち数人の大人と子供によって外へ放り出され、石を投げられ、棒で叩かれていたしじみ。
しじみは犬歯が1本欠けている。たぶんこの時に失ったものだろう。
いっしょに追い出された兄弟猫ともはぐれ、それでもその家の周りを決して離れなかったしじみ。
亡くなったおばあちゃんによほどかわいがられていたのだろう。おばあちゃんが戻ってくるのを信じていたのだろう。
それにしても悔しい。いかんせん、この世の中には平気で猫を虐待したり殺してしまう人間がいる。
しじみをよってたかって虐待している遺族の姿をみて、おばあちゃんも草葉の陰で泣いていたにちがいない。
この頃のしじみ。かわいいねぇ~♪まだほんの赤ちゃん猫みたいだ。夫いわく、しじみは永遠の幼稚園生なんだそう♪
今やわが家では幅をきかせているしじみも当時は遠慮深く、人間不信でオドオドしていたのだ。
今やすっかりわたしのストーカーだが、この当時は呼んだって出てこなかったことを思えば、実に感慨深い。
今日は平成22年2月22日。現在2時22分。
にゃんにゃんにゃんにゃん猫が8つも並んだ日時。末広がりの8(はち)
すべての猫たちが、暖をとり、ごはんにありつけ、暖かい寝床で眠れますように。
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