猫に会うために歩く。あてどなく行く。
別に猫と約束しているわけではないので、出会えなくても、そこはご愛嬌。
会いたいからといって会えるとは限らない。
だから朝から何時間歩いてもなしのつぶての日もある。
このあたりは猫がいないのかな?読みちがえたかしら?
まだ猫時間ではないのかな?でもおそらくどちらもちがう。
わたしの想像では、正解はたぶんこうだ。
小道や路地裏や神社。わたしが猫の姿を追い求めて目を皿のようにして
通り過ぎた場所にも実は猫たちはいる。
猫たちが猫流に猫時間を過ごしているところを運よく共有できるときが
わたしにもたまたまあるだけで、猫時間のおこぼれに授からせ
ていただいているだけなのだ。
だから幸いにも猫たちと波長が噛み合った日は、ウソのように
たくさんの猫たちと出会える。それをわたしは僥倖(ぎょうこう)と呼ぶ。
その数メートルうしろを猫は何食わぬ顔で悠々と歩いている。
ガックリと肩を落として歩くわたしのそのすぐ後ろを猫が横切る。
でもわたしは知らずに通り過ぎる。
そのうしろ姿やゆらゆら振り子のようにゆれるシッポはその日のわたしが
出会えなかったしっぽになるわけだが…。
そんな風に出会えなかったシッポのフサフサした感じを想像するだけで
なんともさびしく、口惜しいのだから、わたしの猫かまけも相当なものだ。
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