わたしは近視である。(左右ともに0.4ぐらい)
でもメガネが煩わしいため、仕事やPCを使うとき以外は殆どかけない。
当然ながら遠くのものや看板の文字などはハッキリ見えない。
街中で知り合いに会っても気づかずに知らんぷりで通り過ぎるイヤなヤツ。
ちがうの。誤解だのよ。わたしは近眼。それがわたしといふ女(ノToT)ノ
そんなあてにならないわたしの視力なわけだが、猫散歩のときだけはちがう。
きらり。と光る(-_
+)(気がする)何が?だから視力がよ。
必死で合わないピントを合わせて眉間にシワを寄せながら目を細める。
カメラ越しに猫とおぼしきシルエットを追う。静かにそしてすみやかにシャッターを切る。
これ鉄則ね。猫は動物。つまり動くってことなのよ。迷いは厳禁!
迷ったら撮る。撮ってから確認すればいいぢゃないか。
話を戻そう。目をほそめると遠くの物が少しだけ集約してけざやかに見えてくる。
言っておくが少しだけ…。
これは近眼の人なら誰でも経験があるだろうし、往々にしてするしぐさであるが、
たとえばわたしが学生だったなら、親や先生からはすこぶる嫌がられる態度にもなる。
「目つきが悪い!不良にからまれるぞ。よしなさい。メガネはどうした?
メガネ、メガネ…」
と、これまたわたしより眉間にシワを寄せながら、怒られるのである。
親と先生の言うことは正しいかも知れない。
目を細めて集中したところで、所詮は近眼( -_-)
かなりの頻度でコンビニの白い袋とか、道端のゴミとか、置き物を猫と見まちがえているわたし。
われながら重症だなぁ~と思うのが、物と物のすきまに偶然できた空間を
猫だと思い込むことである。実はわたしはこれが1番多い(笑)大丈夫か?!
あ!いた!と小躍りして忍び寄ると単なる塀のすきまなわけだ。
わくわくと胸をおどらせて、猫に近づく。近づけば近づくほどに猫だったフォルムが崩れ、
姿をあらわしたのが単なる冷たいコンクリートのすきまなわけだ。
このめくるめくときめきの夢の世界から現実に引き戻されたときのガッカリ度ときたらもう…
(ちょっとどんだけ妄想族なのよ?)
「ああ、なんだ。すきまか。ちがったのか…。ちがったのか…。」
ひとりでブツブツ誰にでもなく、言い分けしながらうなだれ、むなしくその場を去る。
そんな女、怪しいよねぇ。。怪し過ぎるけど…何か問題でも?(問題だらけ)
最近は、とりあえず猫だと思ったものは迷わずカメラを向けることにしている。
ズームにして覗いてみて、本物だと確認できたらそのまま撮影すればいい。
でもたまに奇跡的に真逆なパターンがある。
それは昨日のできごとだった。物だと思って近づいたら本物の猫さまだったのである。
しかもシッポをケガしていて、それきりご無沙汰だったあの
サビ猫だったのである。
彼女は元気そうにお昼寝してた。
わたしの猫アンテナも捨てたもんぢゃないな。ふふっ…
これだから猫散歩はやめられない。
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