いつもあそびにいらして下さるみなさま。ご無事でしょうか?
ご家族、ご親戚と連絡はつきましたか?どうかみなさまが無事でありますように。
ただただ祈るばかりです。
宮城、秋田、山形、茨城と、このたびの東日本大震災の被災者の中に
実はわたしの身内もたくさんいます。
震災当日から実に2日間、まんじりともせず電話の前にかじりついていました。
つながらない固定電話と携帯電話に激痛の走る動かない指で何度も何度も
電話をかけました。叔母や祖母たちと連絡はとれましたが、みんな半倒壊の家の中で
不自由な生活を強いられています。連絡のいまだとれない身内もいます。
身内だけに限らず、すべての被災者のみなさま。どうぞ希望を捨てずに
今をしのいで下さい。
少しでも多くの救済の手がそれぞれの元にさしのべられますように。
そしてこの場をお借りして、亡くなられた方々に哀悼の意を表します。
わたしたちに今できること。節電と義捐金への寄付。ガソリンの節約。
少しでもPCの前から離れ、電源をコンセントを抜けるものはすべて抜きませんか?
あさりとぶ。
このような未曾有のカタストロフィーの中にあって、わたしは今、新薬の副作用と
格闘しています(※プロフィール参照)
かつて経験したことのないすさまじい副作用に振り回される毎日。
最初の5日間ぐらいは廃人になるのではないか?と恐怖したほど。
意識はもうろうとし、ひたすら吐き、めまいの嵐に飲み込まれながら、移動はすべて
這って移動。歩けないどころか座ってもいられない。まさに寝たきり状態。
とにかく自分の身の回りのことすら何もできませんでした。
自分は何者なのか?というアイデンティティの危機ともいうべきほどの恐怖。
これからさらに薬が増量されていくという恐怖感に頭の中が支配されそうでした。
見た目ではわからない病気というストレス。『携帯メールぐらい打てるだろう?』
と思う人もいるでしょう。そういう人はそれまでということです。
わたしは今この文章を固い手袋をした手でタイピングしています。
関節がひどく痛むからです。痛みは常に一定ではなく体中を移動します。
痛みの強弱もストレスや気候、環境などによって変化します。
でも恒久的に痛みがあることに変わりはありません。
『痛いときってどうなるの?』と、つい先日も健康な人に聞かれて返答に困りました。
なぜっていつも痛いので、答えようもありません。聞いた人に悪気がないのは
わかっています。ガラスの破片が皮膚の下を流れるような、またビリビリとした電気
が流れるような・・・とでもいいましょうか。チリチリとした灼熱感のときもあり、
とにかく健康な人には、想像もつかないであろう痛みだということは断言できます。
だからといって理解しろなんて厚かましいことは思いません。
この病気をすべての人に理解してもらおうなどとは言いません。
だってそれは不可能に近いでしょうから。残念ながら、人間は自分が体験したことしか
所詮は理解できないからです。それはわたし自身にもあてはまります。
他人にはそれぞれ事情というものがあります。大事なものにも順序があります。
「おためごかし」という言葉があります。大嫌いな言葉です。
”おためごかし”のやさしさは”張りぼて”だということをわたしは言っておきたい。
べったり仲良くするだけが愛情や友情ややさしさではないということです。
病気が外から目に見えないように本当の愛情や優しさも目には見えないものなのだと
わたしは思っています。
ここで大事なことはイマジネーション。想像力だとわたしは思うわけです。
相手のおかれている状況、健康状態、事情、アクシデントなどを想像してみる。
さまざまな人の苦悩、痛みを少しでも想像力を働かせて想像してみる。
それができる人とできない人がいることを病気になって、大震災があって、
たくさん知ることになりました。極限になって人間の資質が見えたのです。
そんなときもどんなときも猫は変わらず、わたしに元気を与えてくれ
わたしの肉体の痛みすら、ひととき、わすれさせてくれます。
今もかじかむわたしの体をあたためてくれています。
猫はいつでもわたしの希望の光なのです。